2012年1月11日水曜日

書評- D・カーネマン, Thinking, fast and slow-②

前回紹介したように本書は5部からなっているが、全体には以下のように3つの大きなテーマがある。今回は1つ目のテーマ(2つのシステム)について要約し、感想を付言する。
  1. 2つのシステム
  2. 2種類の人間
  3. 2人の自己
【2つのシステム】
カーネマンは人間の判断・意思決定には以下の2つの思考システムがそれぞれ違った形で影響を与えるとしている*。
*なおこの2つのシステムは理解のための便宜上の比喩であり、実際に脳内にこのようなシステムが独立して備わっているわけではない
  1. システム1: 早い (fast) 思考、無意識に働く思考、普段意識せずに働いており、瞬間的な判断(mental "shortcuts")を行う。使用するのにエネルギーを必要としない。システム2が働いている場面でも影響を及ぼしている。
  2. システム2: 遅い (slow) 思考、意識的に働かせないと働かない思考。理由付け、論証、統計/確率的思考などをおこなうさいに使われる。使うのに多くのエネルギーを多くの消費する。怠け者(lazy)であり、できるだけ働きたくない。
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【システム1の働き】
カーネマンによれば、我々の脳内では通常無意識にシステム1が働いているが、システム1はいろいろな特徴をもっている。以下本で挙げられている例をいくつか挙げてみる。
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1.<瞬間判断>
システム1は往々にしてイメージや情報に対して瞬時の判断をくだす。例えば以下の2つの線分を見ると左のほうが長いと瞬時に判断する。

⇒実際には両者は同じ長さだが、同じ長さだと結論づけるためにはよく眺めるか、定規なりで測る必要があるが、通常我々はそんな手間はかけず瞬時に判断し、検証は行わない。
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2.<情報/イメージの合成>
以下に2つの文字を並べる。
バナナ       嘔吐
多くの人は2つの文字を見ると同時にバナナと嘔吐を結びつけたイメージを自動的に思い浮かべる。
⇒システム1は無意識に、目の前にある情報を合成してイメージをつくりだす。そして多くの場合それにあわせたストーリーをつくりだす(以下の3を参照)。

3.<手に入る情報から外部の出来事に秩序を与えるストーリーをつくりだす>
カーネマンはタレブの「ブラック・スワン」にでてくるストーリーを紹介している。
フセインがイラクで捕まった日の朝、安全資産である米国債の価格が上昇した。それをうけてブルームバーグ(金融ニュース配信社)が以下のニュースを配信した。
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"米国債上昇:フセインの逮捕はテロリズムの脅威に歯止めをかけない可能性(Hussein Capture May Not Curb Terrorism)"
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30分後、債券価格が下落したさいに、以下のニュースが配信された。
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"米国債下落:フセインの逮捕により危険資産への選好が上昇"
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⇒「フセインの逮捕」はその日のメインイベントであり、システム1はそれを使い、「債券価格の値動きの裏にある原因」について互いに矛盾するストーリーがつくりあげた。
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これらは本で紹介されているシステム1の機能(の一部)であり、瞬間的かつ無意識に我々の思考を規定する。システム1はエネルギーをセーブして迅速な意思決定(したがって効率的)を可能にし、進化の過程で有利に働いた。
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【システム1がつくりだす判断のバイアス】
上のようなシステム1の性質は、多くの場合効率的であるが、同時に我々の判断にある種の偏り(バイアス)をもたらす。以下2例を挙げる。
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1. 以下のAとBに関して、一目見て判断するとき我々はどちらに好意を抱くだろうか。

A-賢明-勤勉-衝動的-批判的-頑固-嫉妬深い
B-嫉妬深い-頑固-批判的-衝動的-勤勉-賢明
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⇒通常の人はAを好むが、AとBを示すのに使われる単語は同一で並び方だけが異なる。システム1により最初にあらわれる性質は後にあらわれるものよりも大きなウェイトが付与される。システム1はAの最初のポジティブな性質(賢明、勤勉)から瞬時に良いイメージ・ストーリーをつくりだし、それ以降のネガティブな情報を無視する。Bについてはその反対でネガティブなイメージがつくられ、ポジティブな側面は無視される。
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2. 次の背景を読んだ後、リンダという女性の現在についてのシナリオを選ぶ場合、どちらがありそうだろうか。
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背景:リンダは31歳であり、独身で、遠慮せずにものを言い、とても聡明である。彼女は哲学を専攻した。学生として、彼女は差別と社会正義について関心を抱き、反原発運動にも参加した。
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Q:現在のリンダについて以下のどちらがありそうか?
1.リンダは銀行の窓口係である。
2.リンダは銀行の窓口係であり、フェミニスト運動に積極的に参加している。
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⇒テストを受けた大部分の学生は2を選んだが、統計的に考えると、2である確率は1よりも低い(ちなみに2つの選択肢の間に無関係な選択肢をいれると2を選ぶ確率は一層高くなる)。システム1が背景からリンダについてのイメージをつくり(活発で社会問題に関心をもつ独身女性)、そのイメージに沿ったストーリーをつくることができる答え(フェミニスト運動に参加)が選ばれる。このさいにシステム2による確率の検証等は無視されがち。
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【雑感】
以上2つのシステムの働きとそれがもたらすバイアスについてごく一部を紹介した。興味深いことに、カーネマンはシステム1がもたらすバイアスについて、多くの場面でよいものである、と言っている。我々の思考がこのような成り立ちをしている以上、システム1がもたらすバイアスをなくすことはできない。少数のバイアスは意識することでなくすことができる(例えばリンダの問題では確率的思考を学習する)かもしれないが、実際はカーネマンはそれにもかなり悲観的である(本では「人は自分のことを評価するさいには過大評価におちいりがち」、という研究も紹介されている)。システム2が四六時中動いてはいられない以上、どうしても我々の判断はバイアスを持ってしまう。
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このような習性を前提にすると、我々が前提としている制度そのものにも修正・変更の余地がでてくるかもしれない。例えばメディアリテラシーの議論などで多くの情報をきちんと選別して正しい意思決定をしよう、という意見があり、多分それが理想なのだろうが、実際はそんなことをする手間(システム2の駆動)やシステム1のバイアスを考えると、通常の人はそういう意思決定を常にはし続けられない。
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本書の後半では人の意思決定上のバイアスの存在を前提として、それを誘導するような仕組みとしてリチャード・セイラ―のNudge紹介されているが、カーネマンの議論はセイラ―/サススティーンの主張(リバタリアン・パターナリズム)と親和性が高いのだろうと思われる(行動経済学はカーネマンとトベルスキーの論文から多大な影響をうけて発展してきているので当然と考えるべきなのかもしれない)。
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なおカーネマンは心理学の出身であるが、心理学というと頭に浮かぶフロイトとかユングの名前は本書には一度もでてこない。心理学でも意思決定の分野と精神分析の分野では直接の関連がないのかもしれない。